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虹と新約聖書の記事では。 [弓と虹]

 虹と新約聖書の記事では。
契約の虹
  神様はこの契約の印として、雲の中に虹を置いて下さいました。雨が止み、日が出てきたときに見られる虹は「虹色」、神様が、ノアの洪水の後、新しい世界の始まりにおいて結んで下さった契約、人間の罪のゆえに世界を滅ぼすことは二度としない、という約束を与えて下さった、その祝福の印なのです。

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 この「虹」という言葉のもとの意味は「弓」です。英語で虹はrainbowですが、これもrain(雨)とbow(弓)とから成っています。「雨の弓」が虹なのです。虹が弓である、ということに深い意味があります。弓は敵を攻撃する武器です。神様はこの契約において、洪水においてなさったように人間の罪のゆえに人間を攻撃するその弓を置いて下さった、放棄して下さったのです。もはや罪のゆえに人間を攻撃し、滅ぼすことはしない、と宣言して下さったのです。さらにこのようにも言えるかもしれません。虹のあのアーチが弓であるとして、そこに弦が張られ、そこから放たれる矢はどちらへと向かっていくか、それは天へと向かっていくのです。虹の弓は、矢を天へと射る弓です。神様の弓はもはやその矢を地へと、人間へと向けるものではない。人間の罪に対する審きの矢は、天へと、神様ご自身の方向へと向けられているのです。それは、神様の独り子イエス・キリストが、私たちの罪を全て背負って苦しみを受け、十字架にかかって死んで下さることによる罪の赦しの恵みを指し示している、と考えることもできるのではないでしょうか。洪水後の新しい世界の始まりにおいて神様が与えて下さった祝福の契約は、主イエス・キリストの十字架による罪の赦しの恵みへとつながっていくものだったのです。本日は共に読まれる新約聖書の言葉として、ペトロの手紙一の第3章8節以下を選びました。3か月前に7、8章を読んだ時にも、同じ章の18節以下を読みました。ノアの箱舟とキリストによる救い、洗礼とを結びつけて語っているのがこの箇所です。本日8節以下を読んでいただいたのは、それに加えて9節に、私たちが「祝福を受け継ぐために召された」ことが語られているからです。私たちは今、神様の祝福を受け継ぐ者として、教会に召し集められています。私たちの受け継ぐ祝福は、主イエス・キリストの十字架と復活によって与えられているものですが、それは、洪水後の新しい世界の始まりにおいて与えられたこの祝福をも受け継いでいるものです。ノアに与えられたこの祝福のみ言葉が、主イエス・キリストを通して、私たちの人生にも響いているのです。この祝福を受け継ぐ私たちは、命を愛し、つまり与えられた人生を良いものとして喜びつつ、悪から遠ざかり、善を行い、平和を追い求め、義のために苦しみを受けることをも幸いとし、人々を恐れず、心を乱されず、キリストを主とあがめながら、希望を失うことなく歩むことができるのです。




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タグ:虹色 ノア
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