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満月の夜にも癒しの虹! [夜虹]

虹の語源は?
それはホームシックというものではない。ロンドンで生活した二年と数ヶ月の日々のなかで、
それまで以上に祖国と国語について思いをめぐらせることが多かった。
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(満月の夜のイグアナの滝  「虹色」デジタル処理画像)

 イギリスのように雨の多い気象条件下で暮らしていたためか、虹を見る機会は日本よりも多かったと記憶する。空一面を覆うイギリス独特の低い雲は垂れ込めるようでいて、それでもかなりはやく流れている。そしてふとしたときに分厚い雲の切れ間から待ちに待った青空が姿を現す。その青空から高緯度地帯特有の角度の低い太陽光線が差し込む頃、大空の一部ではふたたび雨が降り始める。それは通り雨。このようにして日本では「狐の嫁入り」と呼ばれる現象が生じる。とくに太陽光線がさながらご来光のように差し込み、その光源の向かい側に雨雲が位置するとき、われわれはしばしば虹を見る。ふたつの虹が同時に架かっていたこともあった。

 科学が生活の隅々にまで浸透してしまった現代人にとっては、その虹がいくら美しいものであったとしても、天空に築かれた七色の帯が、スペクトラムの役割をした空中の水滴粒子によって分光された太陽光であることをすでに知っている。しかし、虹という大和ことばができた頃、人々はそれを見てなにを思ったのであろうか。

 初歩の光学的知識をあたかも常識のごとくに持ち合わせていた私ではあるが、イギリスの大空に虹が立つのを見たとき、その美しさにもかかわらずヘビを想像した。それは日本人としての自分がしたことなのか、それとも常日頃から語源を考える癖のある人間の仕業なのか、いまとなってはわからない。

 あとで調べたところ、日本各地の方言から虹とヘビを同語源とみなす説はそれまでにもいくつか出されていた。「ニジ」とその母音交替形の「ヌジ」や「ノジ」などは長虫を意味する「ナガ」や「ナジ」などと同じであるという考え方である。これにしたがえば、虹もヘビも、そしてウナギも「ナガ(長)い」ということばと繋がりがあるということになる。『雄略紀』三年の項に「河の上ほとりに虹の見ゆること蛇をろちの如くして」という記述がある。虹と長虫を表す単語の音韻関連は、このように古代文献に残る先祖の虹に対するイメージのひとつとして実体化している。

 漢字の虹は、虫偏に左右に反りのあるものを表す工を従えた形声文字である。大陸では[hong]と発音されたこともあるらしい。古代シナでは、虹は天界に棲む龍の類であり、それは水気を求めて下り、川の水を飲むと考えられていた。ちなみに、これとは対照的に印欧諸語では虹にヘビのイメージを重ねる表現のあることは寡聞にして知らない。またBeowulfのようにヘビあるいは龍(OE draca ‘dragon’, wyrm ‘worm’)は天界ではなく水中に棲息するものとされている。しかしヘビと豊饒性の関連でいえば、ローマの名将Scipio Africanusはヘビと人間の女とのあいだにできた子供であると伝えられている。

 ところでヘビを表す蛇という文字は、音読みでは「ジャ」とか「ダ」と読む。もともとは虫偏のない它と記していたが、これがほかの意味に転用されたためにヘビを表すときには虫偏を付けるようになったらしい。たとえばこの文字が祟りの意味に用いられたのは媚蠱、すなわち毒のある虫の呪霊を用いて災禍を加える民俗のためであるという。いずれにせよ、この不気味な生き物である蛇を古代シナでは[diar]とか[dzia]と発音し、われわれの先祖は音読みで「ジャ」と読んだ。

さて、幸田露伴はある音が発せられる直前に表れる微かな音のことを本具音と呼んだが、先の古代シナの発音を、語頭にかすかに含まれる鼻音まで考慮に入れてより厳密に表記すると[ndiar]とか[ndzia]になると思われる。そうすると、これらの発音は先に見た日本語の虹[nidzi]とその方言音であるヌジ[nudzi]、ノジ[nodzi]や長虫を意味するナガ[naga]、ナジ[nadzi]の発音とよく似た発音であることがわかる。

発音が似ているとは、そこに含まれている子音が似ているということである。つまり/n/-/d/、/n/-/dz/、/n/-/g/という子音の組み合わせである。母音はその不安定さのために変音しやすく、ここでは無視しても差し支えないと思われる。このような共通の子音配列が示しているのは、古代シナ語の蛇[ndiar]または[ndzia]と、日本語のニジ[nidzi]、ヌジ[nudzi]、ノジ[nodzi]や、ナガ[naga]、ナジ[nadzi]などとの借用関係ではない。そうではなくて、古代シナと日本の双方において、長い物体をほとんど同じ子音を用いて表象したということである。おそらく/n/-/d/、/n/-/dz/、/n/-/g/という子音配列は長い物体を直感的に表象する力があるのだろう。そのために現代でもわれわれはこのような物体に対して「ニョロニョロ」[nyoronyoro]とか「グニャグニャ」[gunyagunya]という擬態表現を用いるのである。また、物事のきりがない様を「長々しい」などというが、この表現も子音配列/n/-/g/のもつ音象徴性の名残であろう。

 虹という大和ことばが、元来は直感的あるいは比較的原始的な音象徴という造語法によるものであろうという推測をした。そこで次に日本人の精神世界を構成している国語の大きな特徴について考えてみたい。それは訓読みという特徴である。

 おそらくコリア半島を経て虹という漢字がもたらされたとき、祖先はこの文字に「ニジ」という訓を充てた。訓読みが漢字にあてはめられる過程は、言い換えれば、シナ語という孤立語を国語という膠着語へ変換する過程にほかならないといえる。つまり、シナ語の語順を変更することなしに返り読みする際に、訓読みが漢字にあてはめられたということである。漢字の渡来以来、わが国における漢文訓読法の伝統は始まり、長年にわたるその凄まじい知的努力の末、大陸では古文が廃れてしまった18世紀には伊藤東涯や皆川淇園、荻生徂徠などの学者のほうが漢文をシナ人よりも厳密に分析し、読解したという。

 漢文法研究はやがて国文法への関心を惹起する。こうしてシナ文明ののちには西洋文明を受容するに足る日本語が文法と語彙の両面において整備されていくが、その現代日本語というの近代語のなかに、かつての直感的な語根創造原理を彷彿とさせる擬音表現が自然に溶け込んでいる。われわれの意識の有無に関わらず擬音語は存在している。

 普段は見過ごされがちな大和ことばの語源は、日本人の重層的な精神の基底部へ光を当ててくれる。イギリスの空に立つ虹はたんなる無機的な光学現象ではなかったのである。




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