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癒しの逆さ虹!! [逆さ虹]

   見上げた空に逆さ虹、虹色のニコニコ・マークみたい!

  環天頂アーク
「虹」と同様に赤から紫までの光のスペクトル(虹色)が見える大気光学現象は、発生のメカニズムや原因、見え方などにより様々な種類があります。

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 「環天頂弧」「天頂環」「天頂孤」「逆さ虹」とも呼ばれる「環天頂アーク」は、空気中の氷晶により太陽の光が屈折・反射されることで現れる現象で、太陽の上方約46°の位置に見える大気光学現象のため、日本では太陽高度の低い冬場に発生しやすい現象です。
 「逆さ虹」の名の通り、「虹」とは逆の両端が上がった円弧を描きます。

 環水平アーク
「水平弧」「水平環」とも呼ばれる「環水平アーク」は、空気中の氷晶により太陽の光が屈折・反射されることで現れる現象で、太陽の下方約46°の位置に見える大気光学現象のため、日本では太陽高度の高い夏場に発生しやすい現象です。
おなじく大気光学現象のひとつで、雲が七色に色づいて見える「彩雲」と間違われることも多い現象で、ほぼ水平の横一直線に見えます。

 幻日(げんじつ)
幻日は太陽の左右に現れます。両方見えることも片方だけしか見えないこともあり、雲の一部が明るくなったように感じます。幻日は氷晶による屈折によって生じ、太陽からは約22°離れています。太陽に近い側が赤っぽくみえますが七色というほどではなく、多くの場合白っぽく感じます。縦や横に伸びたり、明るさもまちまちで時にはすごく明るく綺麗見えたりもします。 

また、これらの現象は大地震前兆との因果関係はわからないけど、観測があるみたいです。


タグ:癒し 逆さ虹
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彩雲も虹色に染まる! [彩雲 ]

 彩雲は、太陽の近くを通りかかった雲の縁に、あるいは中に斑に、 赤や緑「虹色」のパステル調の色が着くことがあります。これが彩雲 (さいうん) です。

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 英語では cloud iridescence とか、iridescent cloud と呼びます。
ほんの少し、申し訳程度に色がつく場合から、 かなり鮮やかな場合まであります。 景雲や慶雲、瑞雲などとも呼ばれ、昔は、吉兆を示すものとも思われていました。 「古来、天にあらわれた、めでたいしるしの随一のものとさえいわれる」

さて、この現象が見られる仕組みは、基本的には 光環と同じで、 雲の水滴による光の回折です。 太陽から来た光が比較的均一な大きさの水滴の集まりを通過すると、 光の波長と水滴の大きさに応じた縞模様を作ります。 一方、雲の縁近くでは、雲の水滴がどんどんと蒸発していっています。 そうすると、水滴の大きさは (雲の縁に近付くほど小さいサイズで) 揃う傾向になります。 この二つを合わせると、雲の縁からほぼ雲の形に沿って、色が着くことになります。 色が淡いのは、他の波長の光(の縞)も幾らか混ざってしまうからです。 見えやすい色は、赤、緑、青の順のようです。

彩雲は、高層の巻雲や巻層雲や巻積雲、高積雲などでよく見られます。 水滴の蒸発が盛んで、どんどんと雲の形が変わっていくような時や、 強風に雲が運ばれていく時には、 一瞬の間に色の変わっていく彩雲も見ることができます。

太陽に非常に近い位置だと、光環と彩雲は区別が付けづらいことが、 というかあんまり厳密に区別は出来ないような場合もあります。

広い範囲で雲の中に鮮やかな色が現れる、 環水平アークが、 彩雲と誤解・誤認識されることもあるようです。 しかし、環水平アークは各色がはっきりとしていて (特に、 青色が彩雲では環水平アークほどきれいに現れないことが多い)、 かつ横に長く現れるなどの違いがあるので、 判っていればだいたい見分けられる思うのですが、 見分けづらいことも多いようです。 そういうのも引っくるめて広義の彩雲と呼ぶことも考えられるでしょう。

文化との関わり[編集]
彩雲は景雲や慶雲、また瑞雲などとも呼ばれ、仏教などにおいては「日暈」などとともに、寺院の落慶、入仏開眼法要などには「五色の彩雲」等と呼ばれる、仏教的に重要な際によく発生する現象として認識されていた。また、西方極楽浄土から阿弥陀如来が菩薩を随えて、五色の雲に載ってやってくる来迎図などにも描かれており、瑞相の一つとしても捉えられていた。
「環水平アーク」同様、特定の気象条件や大気の状態により発生する、それほど珍しくない大気現象であるが、それ故に特定の事象、行事と結びつけて認識されることが多々あったと考えられる。


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満月の夜にも癒しの虹! [夜虹]

虹の語源は?
それはホームシックというものではない。ロンドンで生活した二年と数ヶ月の日々のなかで、
それまで以上に祖国と国語について思いをめぐらせることが多かった。
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(満月の夜のイグアナの滝  「虹色」デジタル処理画像)

 イギリスのように雨の多い気象条件下で暮らしていたためか、虹を見る機会は日本よりも多かったと記憶する。空一面を覆うイギリス独特の低い雲は垂れ込めるようでいて、それでもかなりはやく流れている。そしてふとしたときに分厚い雲の切れ間から待ちに待った青空が姿を現す。その青空から高緯度地帯特有の角度の低い太陽光線が差し込む頃、大空の一部ではふたたび雨が降り始める。それは通り雨。このようにして日本では「狐の嫁入り」と呼ばれる現象が生じる。とくに太陽光線がさながらご来光のように差し込み、その光源の向かい側に雨雲が位置するとき、われわれはしばしば虹を見る。ふたつの虹が同時に架かっていたこともあった。

 科学が生活の隅々にまで浸透してしまった現代人にとっては、その虹がいくら美しいものであったとしても、天空に築かれた七色の帯が、スペクトラムの役割をした空中の水滴粒子によって分光された太陽光であることをすでに知っている。しかし、虹という大和ことばができた頃、人々はそれを見てなにを思ったのであろうか。

 初歩の光学的知識をあたかも常識のごとくに持ち合わせていた私ではあるが、イギリスの大空に虹が立つのを見たとき、その美しさにもかかわらずヘビを想像した。それは日本人としての自分がしたことなのか、それとも常日頃から語源を考える癖のある人間の仕業なのか、いまとなってはわからない。

 あとで調べたところ、日本各地の方言から虹とヘビを同語源とみなす説はそれまでにもいくつか出されていた。「ニジ」とその母音交替形の「ヌジ」や「ノジ」などは長虫を意味する「ナガ」や「ナジ」などと同じであるという考え方である。これにしたがえば、虹もヘビも、そしてウナギも「ナガ(長)い」ということばと繋がりがあるということになる。『雄略紀』三年の項に「河の上ほとりに虹の見ゆること蛇をろちの如くして」という記述がある。虹と長虫を表す単語の音韻関連は、このように古代文献に残る先祖の虹に対するイメージのひとつとして実体化している。

 漢字の虹は、虫偏に左右に反りのあるものを表す工を従えた形声文字である。大陸では[hong]と発音されたこともあるらしい。古代シナでは、虹は天界に棲む龍の類であり、それは水気を求めて下り、川の水を飲むと考えられていた。ちなみに、これとは対照的に印欧諸語では虹にヘビのイメージを重ねる表現のあることは寡聞にして知らない。またBeowulfのようにヘビあるいは龍(OE draca ‘dragon’, wyrm ‘worm’)は天界ではなく水中に棲息するものとされている。しかしヘビと豊饒性の関連でいえば、ローマの名将Scipio Africanusはヘビと人間の女とのあいだにできた子供であると伝えられている。

 ところでヘビを表す蛇という文字は、音読みでは「ジャ」とか「ダ」と読む。もともとは虫偏のない它と記していたが、これがほかの意味に転用されたためにヘビを表すときには虫偏を付けるようになったらしい。たとえばこの文字が祟りの意味に用いられたのは媚蠱、すなわち毒のある虫の呪霊を用いて災禍を加える民俗のためであるという。いずれにせよ、この不気味な生き物である蛇を古代シナでは[diar]とか[dzia]と発音し、われわれの先祖は音読みで「ジャ」と読んだ。

さて、幸田露伴はある音が発せられる直前に表れる微かな音のことを本具音と呼んだが、先の古代シナの発音を、語頭にかすかに含まれる鼻音まで考慮に入れてより厳密に表記すると[ndiar]とか[ndzia]になると思われる。そうすると、これらの発音は先に見た日本語の虹[nidzi]とその方言音であるヌジ[nudzi]、ノジ[nodzi]や長虫を意味するナガ[naga]、ナジ[nadzi]の発音とよく似た発音であることがわかる。

発音が似ているとは、そこに含まれている子音が似ているということである。つまり/n/-/d/、/n/-/dz/、/n/-/g/という子音の組み合わせである。母音はその不安定さのために変音しやすく、ここでは無視しても差し支えないと思われる。このような共通の子音配列が示しているのは、古代シナ語の蛇[ndiar]または[ndzia]と、日本語のニジ[nidzi]、ヌジ[nudzi]、ノジ[nodzi]や、ナガ[naga]、ナジ[nadzi]などとの借用関係ではない。そうではなくて、古代シナと日本の双方において、長い物体をほとんど同じ子音を用いて表象したということである。おそらく/n/-/d/、/n/-/dz/、/n/-/g/という子音配列は長い物体を直感的に表象する力があるのだろう。そのために現代でもわれわれはこのような物体に対して「ニョロニョロ」[nyoronyoro]とか「グニャグニャ」[gunyagunya]という擬態表現を用いるのである。また、物事のきりがない様を「長々しい」などというが、この表現も子音配列/n/-/g/のもつ音象徴性の名残であろう。

 虹という大和ことばが、元来は直感的あるいは比較的原始的な音象徴という造語法によるものであろうという推測をした。そこで次に日本人の精神世界を構成している国語の大きな特徴について考えてみたい。それは訓読みという特徴である。

 おそらくコリア半島を経て虹という漢字がもたらされたとき、祖先はこの文字に「ニジ」という訓を充てた。訓読みが漢字にあてはめられる過程は、言い換えれば、シナ語という孤立語を国語という膠着語へ変換する過程にほかならないといえる。つまり、シナ語の語順を変更することなしに返り読みする際に、訓読みが漢字にあてはめられたということである。漢字の渡来以来、わが国における漢文訓読法の伝統は始まり、長年にわたるその凄まじい知的努力の末、大陸では古文が廃れてしまった18世紀には伊藤東涯や皆川淇園、荻生徂徠などの学者のほうが漢文をシナ人よりも厳密に分析し、読解したという。

 漢文法研究はやがて国文法への関心を惹起する。こうしてシナ文明ののちには西洋文明を受容するに足る日本語が文法と語彙の両面において整備されていくが、その現代日本語というの近代語のなかに、かつての直感的な語根創造原理を彷彿とさせる擬音表現が自然に溶け込んでいる。われわれの意識の有無に関わらず擬音語は存在している。

 普段は見過ごされがちな大和ことばの語源は、日本人の重層的な精神の基底部へ光を当ててくれる。イギリスの空に立つ虹はたんなる無機的な光学現象ではなかったのである。


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